権力と奢りへの戒め
21. 私欲深い人に大きな権限を与えない
Do not entrust a province to a commander who oppresses the people and is ruled by private desire.
民を苦しめ、私欲深き将に郡国を与うる事なかれ。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.26(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
能力が高くても、権限を私物化する人に重要な役割を任せれば、短期の成果と引き換えに組織の信頼を失います。人事では成果だけでなく、手段と利益相反も見なければなりません。
権限を渡す前に、報告経路と監査方法を一つ明文化してください。
22. 依怙贔屓は権威を失わせる
When the ruler shows favoritism, the authority of the realm is taken away.
天下の主として依怙贔屓ある時は、天下の権柄を天道取り払い給う。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.27(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
権威は肩書だけで維持できません。人によって基準を変えると、命令に従う理由が正当性ではなく、損得や恐怖へ変わります。
同じ行為に別の人なら同じ判断をするか、自分へ問い直してください。
23. 能者一人にすべてを任せない
Even a capable person should not be entrusted with everything, for resentment gathers when all power rests in one hand.
能者にても一人に任する時は、万人の恨み多し。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.29(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
有能な一人へ仕事が集中すると、速度は上がっても、情報、判断、信用がその人に依存します。孫子の名言が説く組織運用と同じく、全体の機能を保つ設計が必要です。
一人しか知らない作業を一つ選び、手順を共有してください。
24. すべてを備えた人はいない
A person may excel in one matter and still be weak in another; no one is fully equipped for every task.
何事も備わりたる能人は昔も今も稀なり。一事によけれども、一方に悪しき事あるものなり。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.30(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
一つの成功から、人格や全能力まで高く評価するのは危険です。強みを使いながら、別の人の視点で弱点を補う方が現実的です。
重要な判断を、異なる得意分野の人に一度だけ見てもらってください。
25. 知恵を仲間へ譲る
A loyal person shares wisdom with colleagues and spreads it through the whole administration.
忠信の深き者は、良き知恵を己にあれば、その知恵を仲間に譲り、天下に広むるものぞ。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻pp.31–32(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
知識を囲い込めば、本人の価値は高く見えても、組織は弱くなります。真の貢献は、自分が不在でも良い判断が続く状態を作ることです。
今日覚えたことを、他の人が再現できる三行の手順にしてください。
学び続ける組織をつくる
26. 愚かに見える人にも一つの知恵がある
Even one who appears foolish may possess wisdom in a particular craft.
愚にても一事に賢き者あり。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻pp.33–35(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
普段の話し方や学歴だけで、その人の実務能力を決めつけてはいけません。現場の経験からしか得られない判断は多くあります。
いつも話を聞かない相手に、得意分野について一つ質問してください。
27. 諸人の言葉を捨てず、達人を用いる
Do not discard what people report; employ those who have mastered each path.
諸人の申す事を捨てず、それぞれの道に達せる人を取り用い給え。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.35(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
専門外の立場から全てを判断するより、実際にその道を歩んだ人へ聞く方が誤りを減らせます。ただし、専門家の意見も目的や制約に照らして統合する必要があります。
今の課題に最も近い実務経験者を一人特定し、質問を一つに絞って尋ねます。
28. 必要以上の富を求めない
A mansion of a thousand rooms still gives one person only a small place to sleep; many delicacies still feed only one mouth.
大厦千間あれども、夜臥す所は一畳なり。八珍を連ぬるとも、食する所は二、三種に過ぎず。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.41(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
所有物が増えても、人が一度に使える量には限界があります。必要を超える蓄積のために他者を苦しめるなら、豊かさは秩序を壊す原因になります。
最近増やした物や契約を一つ見直し、本当に使っているか確認してください。
29. 民と統治者は一体である
The people are fundamentally one body with those who govern them.
民は本、我と一体の者なり。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.42(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
生活を支える人々を消耗させて、上だけが栄え続けることはできません。管仲の名言にも、民生を国の基盤と見る考えがあります。
自分の成果を支えている人や仕組みを一つ挙げ、負担を減らす行動をしてください。
30. 真の忠臣は権限を分かち合う
True loyalty shares authority so that many people can serve and no one feels excluded from the ruler.
忠義を思わば諸人に権を譲り、諸人、君に不足なきようにと覚悟をなすを真の忠臣というぞ。
出典:伝・徳川家康述、井上正就聞書『東照宮御遺訓』上・翻刻p.43(表記を読みやすく整えた。英訳は記事独自)
忠誠を示すために権限を独占すると、周囲は主君ではなく実力者へ従うようになります。長く続く体制には、複数の人が責任を担える仕組みが必要です。
自分だけが決めていることを一つ選び、判断材料と権限の一部を共有してください。
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徳川家康の実像と統治思想をさらに学ぶ
家康の名言を読む際は、伝承語録だけでなく、書状、同時代史料、近世の編纂史料を比較することが大切です。人物伝と史料解説を組み合わせると、後世の理想化と史実を分けやすくなります。
まとめ
徳川家康の言葉として伝わる教訓は、単に我慢を勧めるものではありません。耳に痛い忠言を受け止め、人の得意を見つけ、権限を一人へ集中させず、慈悲と公平を統治の根に置くという、組織を長く保つための原則が繰り返されています。
ただし、『東照宮御遺訓』は家康の自筆原典ではなく、後世にまとめられた伝承史料です。言葉を史実上の発言として断定せず、家康像がどのように受け継がれたかを示す資料として読むのが適切です。
今できる最小の一歩は、反対意見を一つだけ最後まで聞くことです。長期の安定は、大きな決断だけでなく、日々の公平な判断と小さな共有から作られます。
出典・参考文献
候補48件を整理し、同一逸話の細分化、別人の発言、文脈不足、意味の重複、帰属が弱いものを18件除外して30件を採用しました。主要資料は次のとおりです。
- 岡崎市立中央図書館「古文書翻刻ボランティア翻刻一覧」—『東照宮御遺訓』公開翻刻
- 岡崎市立中央図書館古文書翻刻ボランティア会『東照宮御遺訓』翻刻PDF、2018年
- 久能山東照宮「御遺訓」—東照公御遺訓の所伝本文
- 国立国会図書館サーチ『徳川家康遺訓集』—書誌・目次情報
- 国立国会図書館サーチ「東照宮御遺訓」検索結果—諸本・翻刻・研究書の書誌確認