トマス・ホッブズは、近代政治哲学の基礎を築いたイギリスの哲学者です。『リヴァイアサン』『市民論』『人間論』を通して、人間の欲望や恐れ、自由、契約、国家の役割を粘り強く考えました。
ホッブズの言葉は、ときに厳しく聞こえます。しかし、人間を美化せずに見つめるからこそ、不安や対立をどう抑え、平和をどうつくるかという現実的な問いが浮かびます。人間関係や仕事で考えすぎたときにも、感情と事実を分ける視点を与えてくれます。
この記事では、一次資料で確認できる30の言葉を、人間の認識、社会、正義、理性、幸福、平和のテーマに分けて紹介します。今を大切にしながら、自分にできる小さな行動へ戻るための哲学として読んでみてください。
人間の認識と心を見つめるホッブズの名言
1. 人間を理解するには、心身の働き全体を見る
Man’s nature is the sum of his natural faculties and powers.
人間の本性とは、人が生まれながらに持つ能力と力の総体である。
出典:トマス・ホッブズ『人間論』第1章第4節(日本語訳は筆者訳)
ホッブズは、人間を一つの性格や美徳だけで説明しません。感覚、理性、情念、身体の力まで含めた全体として捉えました。
自分を「意志が弱い人」と決めつける代わりに、疲労、環境、習慣まで見ると、変えられる条件が見えてきます。まずは今の自分に働いている要因を一つ書くだけでも十分です。
2. 確かな知識は、むやみに争いを増やさない
True and perspicuous knowledge begets not controversy, but makes us know that it is in vain.
真実で明瞭な知識は争いを生むのではなく、その争いが空しいことを私たちに知らせる。
出典:トマス・ホッブズ『人間論』第1章第1節(日本語訳は筆者訳)
論点が曖昧なままでは、互いに別のものを指して争うことがあります。言葉の意味と確認できた事実を揃えるだけで、対立の一部は静まります。
返信する前に「何が事実で、何が解釈か」を一行ずつ分けてみてもいいかもしれません。勝ち負けより、問題を明確にすることへ戻れます。
3. 利害が絡むと、理性に逆らいたくなる
They that have written of justice and policy in general, do all invade each other and themselves with contradiction.
正義や政治について一般論を書いた人々は、互いに、そして自分自身にさえ矛盾している。
出典:トマス・ホッブズ『人間論』献辞(日本語訳は筆者訳)
正しさを語っているときほど、自分の利害や感情が判断へ入り込むことがあります。ホッブズは、人間の推論が常に中立とは限らない点を直視しました。
強く反応したときは、結論を変えなくても構いません。ただ「自分には何を守りたい気持ちがあるか」と問うだけで、判断に少し余白が生まれます。
4. 想像は、感覚の余韻として残り続ける
Imagination is a conception remaining, and by little and little decaying from and after the act of sense.
想像とは、感覚の働きの後に残り、少しずつ薄れていく観念である。
出典:トマス・ホッブズ『人間論』第3章第1節(日本語訳は筆者訳)
嫌な出来事が終わっても、心の中では映像や言葉が繰り返されます。ホッブズは、それを感覚の痕跡として説明しました。
反芻思考、つまり同じ悩みを頭の中で繰り返す状態も、事実が今なお続いていることとは別です。「これは記憶の余韻だ」と名前を付け、目の前の音を一つ聞いてみてください。
5. 感じたことと、外界そのものを区別する
Whatsoever accidents or qualities our senses make us think there be in the world, they are not there, but are seemings and apparitions only.
感覚が世界に存在すると私たちに思わせる性質は、そこにそのままあるのではなく、現れや見え方にすぎない。
出典:トマス・ホッブズ『人間論』第2章第10節(日本語訳は筆者訳)
私たちは、感じた印象を外界の確定した性質として扱いがちです。「冷たい人だ」という印象と、実際にその人がした行動は同じではありません。
出来事と解釈を分けるには、評価語を外して書き直す方法が役立ちます。「無視された」を「返信がまだない」と変えるだけでも、次の行動を選びやすくなります。
社会・恐れ・平等を考えるホッブズの名言
6. 人は人にとって神にも狼にもなる
Man to Man is a kind of God; and that Man to Man is an arrant Wolfe.
人は人にとって、あるときは神のような存在であり、あるときはまったくの狼である。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』献辞(日本語訳は筆者訳)
人間は、協力によって互いを支える一方、競争や恐れの中では傷つけ合うこともあります。ホッブズは、この両面を一つの言葉に収めました。
相手を善人か悪人かだけで固定せず、どのような状況が行動を変えているかを見る視点です。関係を整えたいときは、責める前に不足している安心やルールを一つ探してみてもよいでしょう。
7. 長く続く社会の底には、相互の恐れがある
The original of all great and lasting societies consisted not in the mutual good will men had towards each other, but in the mutual fear they had of each other.
大きく持続する社会の起源は、人々が互いに抱く善意ではなく、互いに抱く恐れにあった。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第1章第2節(日本語訳は筆者訳)
善意だけに頼る仕組みは、疲労や利害の変化で揺らぎます。だからこそ、互いが安心できる手続きや境界線が必要になります。
この見方は冷淡というより現実的です。仕事の依頼なら、期待に任せず期限と担当を短く確認する。それだけで不要な不安を減らせます。
8. 自然の状態では、人は互いに対等である
They are equals who can do equal things one against the other.
互いに相手へ同程度のことをなし得る者は、対等である。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第1章第3節(日本語訳は筆者訳)
体力や知性に違いがあっても、人は互いを害し得るという点で完全な優越を持ちません。ホッブズの平等論は、理想的な美しさより、力の現実から始まります。
相手を見下すことも、必要以上に恐れることも避け、対話できる一人の人として向き合う。小さな場面では、意見を一文だけ率直に伝えることがその第一歩です。
9. 自然法とは、生き延びるための正しい推論である
The law of nature is the dictate of right reason, conversant about those things which are either to be done or omitted for the constant preservation of life and members.
自然法とは、生命と身体を持続的に守るため、何を行い何を避けるべきかについての正しい理性の命令である。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第2章第1節(日本語訳は筆者訳)
ホッブズにとって理性は、抽象的な知性の飾りではありません。生存と安全のために、行動と回避を選び分ける実践的な働きです。
迷いが大きいときは、「今やるべきこと」だけでなく「今日はやめること」を一つ決めると、判断の負荷を減らせます。より少なく、しかしより良く選ぶ理性です。
10. 自然は、平和を求めるよう人に促す
By the right of nature all men are equally judges of the means which tend to their preservation.
自然権によって、すべての人は自らの保存に役立つ手段を判断する点で等しい。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第1章第15節(日本語訳は筆者訳)
人はそれぞれ、自分の安全に必要なことを判断しようとします。問題は、その判断同士が衝突するときに起こります。
自分の安心だけを主張するのではなく、相手が何を脅威と感じているかも確認する。合意点がなくても、恐れの輪郭が分かれば、対立を一段小さくできることがあります。
約束・正義・法を支えるホッブズの名言
11. 約束を果たすことが、自然法の基本になる
That men perform their covenants made.
人は、自ら結んだ契約を履行しなければならない。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第3章第1節(日本語訳は筆者訳)
正義は、大きな理念だけでなく、交わした約束を守ることから始まります。信頼は、気持ちの強さより、予測できる行動によって育ちます。
完璧に守れないと分かった時点で、黙るのではなく早めに伝える。それも約束への責任です。今日、遅れている連絡を一件だけ返してみてもよいでしょう。
12. 信義を守ることは、平和の条件である
Faith is to be kept.
信義は守られなければならない。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第3章第1節(日本語訳は筆者訳)
短い言葉ですが、社会を支える核が表れています。言ったことと行うことの間が大きく開けば、相手は常に警戒しなければなりません。
信頼を取り戻すときは、大きな宣言より小さな一致が役立ちます。「今日中に確認する」と伝えたなら、その一件だけを終える。善進とは、現実を1ミリ善くすることです。
13. 自分の争いを、自分だけで裁かない
No man can be a competent judge in his own cause.
誰も、自分自身が当事者である争いの適切な裁判官にはなれない。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第3章第21節(日本語訳は筆者訳)
自分が傷ついた場面では、事実の見え方も結論も自分側へ傾きやすくなります。それは悪意というより、人間の判断にある限界です。
重要な決定ほど、第三者の視点や記録を借りる意味があります。送信前の文章を一度読み返し、「相手が読んだら何が事実に見えるか」と考えるだけでも違います。
14. 他者の立場に置き換えて判断する
Whatsoever you require that others should do to you, that do ye to them.
他者に自分へしてほしいと求めることを、自分も他者に行いなさい。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第3章第26節(日本語訳は筆者訳)
自分への配慮を求めるなら、同じ基準を相手にも向ける。公平さを、身近な置き換えによって確かめる方法です。
ただし、自分を犠牲にすることではありません。自分にも相手にも同じ境界線を認めることが大切です。今日の依頼文を、受け取る側が判断しやすい形へ一文だけ整えてみてください。
15. 法は、助言ではなく権威ある命令である
Law is the command of that person, whose precept contains in it the reason of obedience.
法とは、その命令に従う理由を内包する人物の命令である。
出典:トマス・ホッブズ『市民論』第14章第1節(日本語訳は筆者訳)
ホッブズは、法を単なる助言や善意の勧めと区別しました。誰が定め、なぜ従うのかという権威の構造が必要だと考えます。
日常のルールにも、目的と責任者が曖昧だと守られにくい面があります。「なるべく早く」ではなく期限を決めるなど、実行条件を明確にすると摩擦を減らせます。
言葉・理性・知識を磨くホッブズの名言
16. 想像とは、薄れていく感覚である
Imagination therefore is nothing but decaying sense.
したがって想像とは、薄れていく感覚にほかならない。
出典:トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第2章(日本語訳は筆者訳)
未来への不安は、まだ起きていないことを鮮明な感覚のように見せることがあります。けれども、想像と現実は同じではありません。
不安を消そうとせず、「今確認できることは何か」に戻る方が実用的です。予定、残高、締め切りなど、事実を一つだけ確かめると、想像の勢いから少し離れられます。
17. 言葉は、賢者には計算道具、愚者には通貨になる
Words are wise men’s counters, they do but reckon by them; but they are the money of fools.
言葉は賢者にとって計算札であり、それによって考えるだけだが、愚者にとっては言葉そのものが貨幣になる。
出典:トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第4章(日本語訳は筆者訳)
言葉は現実を考えるための道具であり、言葉そのものが現実ではありません。「成功」「失敗」「普通」といった語を絶対視すると、具体的な状況が見えなくなります。
抽象語で悩んだときは、観察できる行動へ言い換えてください。「私は失敗した」を「予定した三件のうち一件できなかった」と書けば、次の一手が見えてきます。
18. 科学は、結果のつながりを知ること
Science is the knowledge of consequences, and dependence of one fact upon another.
科学とは、結果と、ある事実が別の事実に依存する関係についての知識である。
出典:トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第5章(日本語訳は筆者訳)
知識は、用語を覚えることだけではありません。何をすると何が起こるか、そのつながりを理解することに価値があります。
行動科学の観点でも、結果を観察すると習慣を調整しやすくなります。一週間を反省する代わりに、「夜にスマートフォンを見ると就寝が何分遅れるか」だけを記録する方法があります。
19. 明確な言葉が、心の光になる
The light of human minds is perspicuous words, but by exact definitions first snuffed and purged from ambiguity.
人の心を照らす光は明瞭な言葉である。ただし、まず正確な定義によって芯を整え、曖昧さを取り除かなければならない。
出典:トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第5章(日本語訳は筆者訳)
考えがまとまらないとき、能力が足りないのではなく、使っている言葉が広すぎる場合があります。「将来が不安」では、扱う範囲が大きすぎます。
「今月の支払い」「明日の連絡」のように具体化すると、心の暗がりに輪郭が生まれます。悩みを一つの名詞に縮めて書くことから始めても構いません。
20. 推論だけで、過去や未来の事実を確定できない
No discourse whatsoever can end in absolute knowledge of fact, past or to come.
いかなる推論も、過去または未来の事実について絶対的な知識へ到達することはできない。
出典:トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第7章(日本語訳は筆者訳)
考え続ければ未来を完全に予測できる、という期待は不安を長引かせます。推論には価値がありますが、不確実性をゼロにはできません。
答えが出ない問題では、確実性を得るより小さく試す方が前へ進めます。一分だけ着手し、その結果から次を決める。完璧な予測ではなく、再開できる行動を選ぶ知恵です。

