志賀直哉の名言25選|創作・観察・記憶・仕事を見つめる言葉

志賀直哉本人の1926年刊行資料に掲載された肖像

執筆・編集:meigen89

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志賀直哉(1883–1971)は、武者小路実篤や有島武郎らと『白樺』を創刊し、簡潔で澄んだ文章によって日本近代文学に大きな足跡を残した作家です。「小説の神様」という呼び名の陰には、実際に見たことと想像したことをどう言葉へ移すか、何度も確かめる仕事がありました。

この記事では、本人が自作の成り立ちを振り返った「創作余談」を中心に、出典と紙面を確認できる短い言葉を25件選びました。作品中の登場人物の台詞ではなく、書くこと、記憶、自然、観察、読者との距離について語った本人の言葉です。

同じ白樺派の武者小路実篤の名言有島武郎の名言、志賀を高く評価した芥川龍之介の名言、交流のあった夏目漱石の名言と読み比べると、志賀の「素直さ」が単なる飾り気のなさではないことも見えてきます。

自作を振り返り、出発点を見つめる言葉

1. 思い出から作品を照らし直す

此集に入れた作品に就いて思ひ出のやうなものを書いて見る。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

志賀は、完成した作品に権威ある解説を加えるのではなく、「思ひ出のやうなもの」を書くと始めます。作者にも、書いた当時を完全に説明し切ることはできない。その慎ましい距離感が印象的です。

過去の仕事を振り返るとき、後から整った理由を作りたくなります。けれど、当時何を見て、どこで迷ったかを思い出す方が、次の仕事に使える手がかりは多いでしょう。

2. 自分の始まりを自分で認める

これを私は処女作といつていいかも知れない。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「或る朝」についての回想です。断定ではなく「いいかも知れない」と置くところに、作品の始まりを一つに固定しない柔らかさがあります。

最初の一歩は、後から見て初めて意味を持つことがあります。始めた日に大きな手応えがなくても、続けた時間がその一歩を出発点へ変えていきます。

3. 筋があっても作品になるとは限らない

書くともものにならない。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「或る朝」の次に企てた小説についての率直な判断です。筋ができていても、書けば必ず作品になるわけではない。着想と完成のあいだには、文章の呼吸や視点の定まり方があります。

認知心理学でいう認知負荷は、頭の中で同時に扱う情報が多すぎると作業が進みにくくなることです。まとまらないときは、構想を足すより、場面や問いを一つに絞る方が出口になる場合があります。

4. 速さと丁寧さの間で迷う

一気に書くと骨ばかりの荒つぽいものになり、ゆつくり書くと瑣末な事柄に筆が走り、まとまらなかつた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

速く書けば粗くなり、慎重に書けば細部へ迷い込む。これは文章に限らず、考える仕事の多くに起こる難しさです。どちらかを美徳にせず、両方の欠点を明晰に見ています。

私には、初稿と推敲の役割を分ける示唆として読めます。まず骨を出し、次に必要な細部だけを戻す。二つの速度を同じ時間に求めないことで、行き詰まりが少しほどけます。

5. 想像の責任を引き受ける

話の大体は私自身の想像であつた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「荒絹」の着想源を示したうえで、物語の大部分は自分の想像だと明記しています。事実から始まった作品でも、どこからが創作なのかを曖昧にしません。

他人の経験や資料をもとに何かを語るとき、確認した事実と自分の解釈を分けて示す。この線引きは、創作だけでなく、報告や発信の誠実さにもつながります。

苦労と自然さの両方を受け入れる言葉

6. 苦労にも、自然さにも、それぞれの長所がある

苦労して書いたものには苦労しただけの長所があり、素直な気持でスラスラと書けたものには又さらういふ所がある。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.482

苦労した作品だけを尊び、自然に書けた作品を軽く見るのではありません。手間が生む強さと、滞りなく出てくる言葉のよさを、別の価値として認めています。

努力の量だけで成果を測ると、よくできた仕事を「楽にできたから」と過小評価しがちです。得意さが働いて滑らかに進んだのなら、それも積み重ねの結果として受け取れます。

7. 自然に生まれたものへ愛着が向く

作者自身では多くの場合後者の方に愛着を感ずるらしい。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.482

前の一節を受け、志賀は「素直な気持で」書けた作品へ作者の愛着が向きやすいと見ます。作る苦しさと、作ったものへの親しみは、必ずしも比例しません。

流暢性ヒューリスティックとは、処理しやすいものを好ましく感じやすい傾向です。ただし志賀は一般法則として断定せず、「らしい」と自分を観察しています。感覚を認めながら、感覚だけを正しさにしない言い方です。

8. 書くことにも仕事を終えた喜びがある

小説にも仕事をしたやうな楽しさがした。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

小説を神秘的な霊感だけで語らず、「仕事をした」感覚へ戻しています。想像から生まれる作品にも、手を動かし、形を整え、終える労働の実感があるのです。

気分が整うのを待つより、終えられる小さな単位を作る方が、次へ進みやすい日があります。見出し一つ、段落一つでも、完了の感覚は仕事のリズムを戻してくれます。

9. 作品は時代の制約も背負う

此本に載せたのは其検閲済みのものである。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「母の為に」が内務省の検閲で削られた経緯に触れた一文です。現在読める本文が、作者の最初の形と同じとは限らない。作品は美的な対象であると同時に、出版制度の中を通った歴史資料でもあります。

古い文章を読むとき、書かれたことだけでなく、書けなかったことや削られたことへ目を向けると、時代の輪郭が見えてきます。

10. 短さは、手間の少なさを意味しない

これは短いものだが割りに骨を折つた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「老人」についての回想です。志賀の文章は短く見えても、何を残し、何を削るかには長い判断が含まれています。短さは省略ではなく、選択の結果です。

私は、簡潔な文章ほど書き手の責任が見えやすいと感じます。言葉を減らすたびに、残した一語の重みが増すからです。

記憶と事実を丁寧に扱う言葉

11. 自分の好みを言葉にする

他人から自身の作品中何を好むかと訊かれた場合、私はよく此短篇をあげた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

評価の高い作品ではなく、自分が愛着を持つ短篇を挙げる。作者自身の好みと世評を分けて考える態度です。自作を客観視しながら、好みまで隠そうとはしません。

自己距離化とは、自分の経験を少し離れた視点から眺めることです。「一番よいか」ではなく「自分はどれを好むか」と問い直すと、評価への緊張をほどき、判断の軸を取り戻せることがあります。

12. 追憶を飾らず書く

少年時代の追憶をありのままに書いた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

「母の死と新しい母」についての説明です。「ありのまま」は、記憶が完全に客観的だという宣言ではなく、過度に劇化せず、思い出した形に忠実であろうとする姿勢でしょう。

自分の過去を書くとき、意味を急いで付けず、まず見えた場面や聞こえた言葉を置く。解釈を一段あとへ送るだけでも、記憶の質感は守りやすくなります。

13. 素直に書ける夜もある

一晩で素直に書けた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

長く苦しむ作品がある一方、一晩で自然に形になる作品もある。志賀はその差を隠しません。時間の長さを作品の価値へ単純に換算しない姿勢が、ここにもあります。

うまく進む日は、疑って止めるより、流れを保ったまま最後まで置いてみる。検討は翌日に回せます。書く時間と疑う時間を分けるのも、素直さを守る方法です。

14. 感情を煽らず、感情を書く

小説中の自分がセンチメンタルでありながら、書き方はセンチメンタルにならなかつた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

人物の感情と、文章の調子を分けています。悲しみを書けば文章まで悲嘆の身ぶりを大きくしなければならない、ということではありません。むしろ静かな文体が、感情を読者へまっすぐ渡す場合があります。

強い出来事を伝えるとき、形容を足す前に事実を一つ正確に置く。抑制は冷たさではなく、読む人が自分で感じる余白を残すことでもあります。

15. 自分が大事にする一点を知る

此点を好んでゐる。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.481

前の言葉に続き、感情的な内容を感傷に流れず書けた点を好むと述べます。作品全体を無条件に誇るのではなく、どこに自分の美意識が現れたかを一つ選んでいます。

個人的には、この短い自己評価に強さを感じます。できなかった所を数え続けるより、「ここは守れた」と言える一点が、次の仕事の基準になるからです。

観察と自然から学ぶ言葉

16. 事実の力を信じる

事実をありのままに書いた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.484

「流行感冒」についての簡潔な説明です。ありのままに書くとは、何も選ばないことではありません。どの場面を取り、どの順序に置くかという選択を通して、事実の輪郭を損なわないようにすることです。

複雑な問題に圧倒されたとき、推測と観察を分け、確かめられた事実を三つだけ並べると、次に扱える部分が見えやすくなります。

17. 好きなものをよく見る

生き物を書く事が好きで、此小説も大部分それである。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.485

「濠端の住まひ」を振り返った言葉です。志賀の観察は、技法だけでなく、対象への関心から始まっています。よく見ることは、好きであることの一つの形です。

観察力を鍛えようと力むより、気になる対象を一分長く見る方が続くことがあります。形、動き、音を一つずつ捉えると、曖昧だった「好き」が具体的な言葉へ変わります。

18. 印象の誤りを承知で残す

強い先入主になつた印象を捨てるのがいやで私は誤りを承知で書いたままにして置いた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.485

実際の場所には存在しない月景色を作品に残した経緯です。事実の訂正より、当時の印象の真実を選んだ。ただし、後からそれが誤りだと明記しており、隠してはいません。

スキーマとは、経験を理解するための心の枠組みです。強い印象は現実の細部を組み替えることがあります。記憶を事実として使う場面では確認が要りますが、創作では、そのずれ自体が心の動きを伝える場合があります。

19. 自然は表現より強く迫る

自然そのものはもつと強い力で迫つて来るのを感じた。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.485

赤城山を描いた作品が誇張に見えたものの、実際の自然は文章以上の力で迫った、と振り返ります。表現を控えめにすれば真実になるとは限らない。対象の強さに、言葉が追いつかないこともあります。

景色に圧倒されたとき、すぐ比喩へ変えず、色や温度、距離を一つずつ確かめてみる。感動を小さくせず、言葉の足場だけを作る方法です。

20. 生と死を見た感覚へ正直でいる

それらから受けた感じは素直に且つ正直に書けたつもりである。

出典:志賀直哉「創作余談」『志賀直哉集』(改造社、1928年)p.485

「城の崎にて」で見た蜂、鼠、蠑螈の生死についての回想です。出来事を思想の材料へ急いで変えるのではなく、受けた感じを損なわず書くことを重んじました。

私は、「正しい結論」ではなく「正直な感じ」と書く点に惹かれます。生死のように簡単な答えのない事柄には、分からなさを残した言葉の方が誠実なことがあります。

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