谷崎潤一郎(1886–1965)は、『刺青』『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』などで知られる小説家です。作品ごとに文体を変え、東京と関西、西洋と日本、明るさと陰影のあいだを行き来しながら、日本語の感覚を磨き続けました。
この記事では、本人が文章の働きを論じた『文章読本』(1934年)から、原文と位置を公開スキャンで確認できる25の言葉を選びました。小説の登場人物の台詞や出典不明の流布句は使っていません。読みやすさのため旧字体と歴史的仮名遣いのみ現代的な表記へ整え、語の意味、否定、条件、論旨は変えていません。
同時代の文章観を広く見るなら、簡潔な描写を追究した志賀直哉の名言、都市と芸術を見つめた永井荷風の名言も参考になります。谷崎の言葉は、文章術にとどまらず、考えること、伝えること、記憶に残すことの関係まで静かに照らします。
言葉と思考を見つめる名言
1. 細かな考えは言葉で形になる
やや細かい思想を明瞭に伝えようとすれば、言語に依る外ありません。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.2
表情や身振りは、強い感情を一瞬で伝えます。しかし、理由や条件の重なる考えを他者へ渡すには、言葉によって順序を与える必要がある。谷崎は、言語を飾りではなく、複雑さを共有可能にする道具として捉えています。
考えが混線したとき、結論を急ぐより「何が起きたか」「どう感じたか」「何を望むか」を分けて言葉にすると、輪郭が少しずつ現れます。書くことは、完成した考えの報告だけでなく、考えを発見する過程でもあるのでしょう。
2. 人は言葉を使って考える
言語は他人を相手にする時ばかりではなく、ひとりで物を考える時にも必要であります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.2
誰にも話していないときにも、頭の中では言葉が動いています。認知科学でいう「内言」は、声に出さず自分へ向けて使う言葉のことです。計画を立てたり、選択肢を比べたりするとき、その働きが思考を支えると考えられています。
ただし、頭の中の言葉は同じ場所を巡りやすくもあります。迷いが続くなら、一度短く書き出して眺めると、考えそのものと、考えている自分との間にわずかな距離が生まれます。
3. 言葉は思考にまとまりを与える
言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、という働きを持っております。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.2
言葉は、すでに完成した中身を運ぶ容器ではありません。曖昧な感覚に名前を与え、前後をつなぐうちに、初めて「自分はこう考えていたのか」と気づくことがあります。
私には、谷崎が文章を思考の後工程ではなく、思考そのものの一部として見ているように読めます。うまく説明できないのは知識不足だけではなく、まだ考えが形を得る途中だからかもしれません。
4. 言葉は意外に不自由である
言葉というものは案外不自由なものでもあります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.3
谷崎は、鯛を食べたことのない人へ味を説明する難しさを例に挙げます。色、香り、痛み、懐かしさのような感覚は、名前を付けても全部を移し替えることができません。
心理学では、言葉にしにくい身体感覚や感情もあると考えられています。説明できないから存在しないのではなく、言葉の網目より経験の方が細かい。伝わらない場面で、すぐ相手か自分を責めないための慎重さを、この一文は残してくれます。
5. 言語を万能だと思わない
言語は万能なものでないこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.3
言葉は理解を助ける一方、複雑な現実を既成の型へ押し込めることもあります。「成功」「普通」「正しい」といった大きな語ほど、誰の基準なのかを隠しやすいものです。
強い言葉に出会ったとき、その語が何を照らし、何をこぼしているかを確かめる余地があります。言葉を疑うことは、言葉を捨てることではありません。その力を過信せず、より丁寧に使うための態度です。
名付ける前の違和感を急いで分類せず、しばらくそのまま保つ。そんな沈黙も、言葉を正確にする時間になり得ます。
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谷崎潤一郎の文章観を原著で読む
ここまでの言葉は『文章読本』の冒頭から選びました。前後の例文まで読むと、谷崎が「分かりやすさ」と「余韻」を対立させず考えていたことが、いっそう鮮明になります。
伝える文章、残る文章
6. 書き言葉には書き言葉の長所がある
文章にはそういう要素がない代りに、文章の使い方やその他いろいろな方法でそれを補い得る長所があります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.4
「そういう要素」とは、声の調子、間、表情、身振りです。文章にはそれらがありませんが、段落、語順、句読点、反復、余白によって別の仕方で補えます。話し言葉の劣化版ではなく、異なる強みを持つ表現なのです。
短い連絡でも、結論の前に一行空けるだけで受け取りやすさは変わります。書き手の声が届かない場面ほど、内容だけでなく、読む時間の流れまで設計する視点が役立ちます。
7. 文章は感銘を長く残す
文章の方はなるたけその感銘が長く記憶されるように書きます。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.4
会話はその場の反応を動かし、文章は時間を越えて読み返されます。谷崎は両者の優劣ではなく、働く時間の違いを見ていました。
長く残る文章は、情報量が多い文章とは限りません。読者が自分の経験と結びつけられる像や響きが一つあれば、短い一節でも後から戻ってきます。書き終えた後に「何を一つ残したいか」と見直すのも、静かな推敲の方法です。
8. 実用と芸術を切り離さない
韻文でない文章だけについていえば、実用的と芸術的との区別はありません。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.6
ここで谷崎は、詩歌を除いた散文について限定して語っています。報告書は実用、小説は芸術と棚を分けても、どちらも読者に何かを伝え、理解や感情を動かす点では連続しているという見方です。
私はこの一節に、日々の文章を軽く扱わない誠実さを感じます。仕事のメールにも読み手の時間があり、小説にも意味を正確に届ける責任がある。用途が違っても、言葉を選ぶ手つきはどこかでつながっています。
9. 理解のない美しさは届かない
現代の人は、どんなに綺麗な、音調のうるわしい文字を並べられても、実際の理解が伴わなければ美しいと感じない。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.6
華やかな語彙や整った音だけでは、内容の空白を埋められません。美しさは理解の反対側にあるのではなく、意味が届く過程の中にあると谷崎は考えます。
難しいことを難しいまま書く必要がある場面もあります。ただ、複雑さと不明瞭さは同じではありません。専門的な文章でも、中心となる一文を先に置けば、読み手は迷子になりにくくなります。
10. 分からせるだけでも大仕事である
分らせるように書くという一事で、文章の役目は手一杯なのであります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.7
現代社会は複雑になり、文章が扱う対象も増えた。谷崎の時代認識を背景に読むと、「分かりやすく」と軽く言うことへの戒めが見えてきます。理解させる仕事だけで、すでに十分な労力を要するのです。
認知負荷とは、作業中に頭が扱える情報量へかかる負担のことです。前提を詰め込みすぎると、読み手は内容より解読に力を使います。一文一役、段落一論点くらいに分けることは、相手の理解力を低く見るのではなく、理解に使える力を尊重する工夫です。
生活と芸術をつなぐ名言
11. 芸術は生活から離れていない
芸術というものは生活を離れて存在するものではなく、ある意味では何よりも生活と密接な関係があるのであります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.7
谷崎の美学は、現実から隔絶した装飾ではありません。住まいの光、器の手触り、声の調子、日常語の癖といった具体から、作品の形が生まれます。
創作の材料が見つからないとき、特別な事件を待つ必要はないのかもしれません。繰り返している動作や、なぜか気になる音を丁寧に見ると、生活の中にすでに表現の入口があります。
12. 小説と実用文は地続きである
小説に使う文章で、他のいわゆる実用に役立たない文章はなく、実用に使う文章で、小説に役立たないものはない。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.7
観察、順序、具体性、余分を省く判断。これらは物語にも説明文にも必要です。小説で培った視線は報告を鮮明にし、実用文で鍛えた明晰さは物語の足場になります。
文章を種類ごとに別の才能だと決めつけない方が、学びは行き来しやすくなります。会議の要点を一行にまとめる練習も、人物の欲望を一場面で示す練習も、「何を残すか」を選ぶ点では近い営みです。
13. 不必要な言葉を省く
できるだけ無駄を切り捨てて、不必要な言葉を省いてあるからであります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.9
これは志賀直哉「城の崎にて」を評した箇所です。省略は情報を雑に削ることではなく、残した言葉の働きを強める選択として語られています。
推敲では、きれいな表現より先に、なくても意味が変わらない語を探せます。削った後に必要な条件まで消えていないかを確かめる。その往復が、短さと正確さを両立させます。
省くとは、読み手へ投げ出すことではありません。核心までの道を塞いでいるものを取り除く作業です。
14. 短さが印象を鮮明にする
短く引き締め、しかも引き締めたために一層印象がはっきりするように書けている。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.9
短い文章がいつも優れているのではありません。谷崎が評価するのは、短くした結果、像が薄れるのではなく、かえって鮮明になる書き方です。削除の基準は文字数ではなく、印象が立つかどうかにあります。
個人的には、「短く」と「冷たく」を区別する視点がここにあると感じます。説明を減らしても、選ばれた一語に観察が宿っていれば、文章は痩せません。余白は不親切ではなく、読者が像を結ぶ場所にもなります。
15. 実用的に書くにも芸術的な手腕が要る
最も実用的に書くということが、すなわち芸術的の手腕を要するところなので、これがなかなか容易に出来る業ではないのであります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.9
用件が通じれば十分、と考えたくなる文章にも、順序や調子への判断があります。読み手が迷わず、しかも必要な印象を受け取る形へ整えるには、感覚と技術の両方が欠かせません。
実用性は美しさを追い出すものではなく、美しさを検証する厳しい条件にもなります。装飾が内容を助けているか。簡潔さが関係を荒らしていないか。目的に照らして選び直すところに、谷崎のいう手腕が現れます。
簡潔さと限界を知る名言
16. 文章力はあらゆる仕事に関わる
されば文章の才を備えることは、今後いかなる職業においても要求される訳であります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.10
谷崎は、広告、報道、裁判記録などへ文章の用途が広がる時代を見ていました。現代なら、メール、企画書、チャット、説明画面まで、書く力が多くの仕事の土台になっています。
巧みな比喩を作ることだけが文章力ではありません。事実と意見を分け、必要な相手へ、必要な順序で届ける力もその一部です。専門を深めるほど、その価値を他者へ渡す言葉が必要になります。
17. 新しい文体にも古い文章の知恵がある
口語体を上手に書くコツは、文章体を上手に書くコツと、変りはない。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.10
表面の語彙や語尾が変わっても、リズム、焦点、省略、反復といった文章の原理は受け継がれます。古典をそのまま真似るのではなく、なぜ少ない言葉で像が立つのかを学ぶ姿勢です。
夏目漱石の名言や芥川龍之介の名言を読むと、時代や個性が違っても、文の呼吸に細かな判断があることが分かります。古さは、現在と切れたものではなく、現在の言葉を測る別の尺度になります。
18. 分からせることにも限界がある
ここで皆さんの御注意を喚起したいのは、「分らせる」ことにも限度があるという一事であります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.11
説明を尽くせば、どんな経験も同じ形で共有できる。谷崎はその期待にブレーキをかけます。理解を目指しながら、完全な理解を保証しない。その二つは矛盾しません。
「説明の深さの錯覚」とは、自分が実際以上に詳しく理解していると思いやすい傾向です。書いてみて初めて曖昧さに気づくことがある一方、書けたから全部伝わったとも限りません。要点を示した後に、相手がどう受け取ったかを確かめる余白が、限界を埋める対話になります。
19. 言葉を重ねすぎると意味が遠ざかる
いたずらに言葉を積み重ねるために、かえって意味が酌み取りにくくなりつつある。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.12
説明不足を恐れるほど、例外や前置きを足し続けてしまうことがあります。けれども、情報が増えるほど中心が見えるとは限りません。谷崎が問題にするのは語彙の豊かさではなく、目的を失った堆積です。
長い文章なら、冒頭に結論、続いて理由、最後に条件という骨組みを置くと読み手は位置を見失いにくくなります。削れない情報が多いときほど、順序が簡潔さの代わりをしてくれます。
20. 表現できる範囲を見極める
文章のコツ、すなわち人に「分らせる」ように書く秘訣は、言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一であります。
出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.12
説明を諦めよ、という言葉ではありません。表現できない部分まで説明したふりをせず、確かに言える範囲を見定めることが、かえって伝達を正確にするという教えです。
事実、推測、感想を別々に示す書き方にも通じます。「分からない」を残すのは弱さではなく、言葉の射程を誠実に示すこと。限界の外を余白にできる文章には、読み手が考える場所があります。
