谷崎潤一郎の名言25選|言葉・文章・美・記憶を見つめる言葉

1948年の谷崎潤一郎本人肖像

古典の余韻と感覚を読む名言

21. 繰り返す言葉にも陰影が生まれる

同じ言葉が幾度も繰り返されて使ってありますが、自然の必要から、それらの言葉が場合場合である独特なひろがりを持ち、一つ一つに月の暈のような蔭が出来、裏が出来ています。

出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.13

同じ語の反復は、いつも語彙不足を意味するわけではありません。置かれた場面が変われば、語の周囲に違う気配が集まり、同じ音が少しずつ別の深さを持ちます。谷崎は古典の限られた語彙の中に、その作用を見ています。

私には「月の暈のような蔭」という比喩そのものが、この考えを実演しているように感じられます。意味は辞書の輪郭だけに収まらず、前後の記憶をまとって広がる。大切な語を無理に言い換えず、同じ形で置き直す方が効く場合もあります。

反復を残すか削るかは、回数ではなく、そのたびに響きが変わっているかで見分けられます。

22. やさしい言葉は感銘を浅くしない

やさしい、分り易い文字を使ったからといって、人に与える感銘の深さは、必ずしも饒舌な口語文に劣らないのであります。

出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.15

平易さと浅さを同一視しない言葉です。難しい語を避けても、観察が正確で、言葉の置かれる場所が選ばれていれば、深い余韻は生まれます。

分かりやすく書こうとして説明を足しすぎるより、一つの具体を丁寧に選ぶ方が届くことがあります。相手に合わせて言葉を易しくするのは、内容を薄めることではなく、入口を整えることです。

23. 文章には音と形がある

口語文といえど、文章の音楽的効果と視覚的効果とを全然無視してよい筈はありません。

出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.15

文章は意味だけでできていません。声に出したときの長短、同じ音の重なり、漢字と仮名の見え方、段落の密度も、読む感覚へ働きかけます。

内容を整えた後に一度音読すると、息の続かない長文や、同じ語尾の重なりが見つかります。見た目では長い段落を二つに分けるだけでも、読み手が立ち止まれる場所ができます。装飾ではなく、理解の通路を整える作業です。

24. 感覚的な快さが理解を助ける

眼や耳から来る感覚的な快さが、いかに理解を助けるものであるかということは、名文家は皆よく知っているのであります。

出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.15

音や字面の美しさは、意味の後に添える飾りではなく、理解を支える働きを持つ。谷崎はそう捉えます。心地よいリズムが文のまとまりを知らせ、視覚的な区切りが論理の段差を見せることがあります。

私は、ここに美と実用を結ぶ谷崎らしい強さを感じます。ただ美しければよいのでも、情報だけ届けばよいのでもない。読み手の感覚を通って意味が届くという、身体を忘れない文章観です。

現代の画面では、文字の大きさや余白も読みやすさを左右します。媒体は変わっても、目と耳を通して読む人間の側は、谷崎の時代から連続しています。

25. 分かることと記憶に残ること

文章の第一の条件は「分らせる」ように書くことでありますが、第二の条件は「長く記憶させる」ように書くことであります。

出典:谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社、1934年)p.17

明瞭さだけでは、読んだそばから消えてしまうことがあります。反対に、印象だけが強くても意味が曖昧なら、誤解が残る。谷崎は「理解」と「記憶」を、文章の二つの条件として並べました。

記憶研究では、意味のあるまとまりや具体的な像と結びついた情報は、手掛かりなしの断片より思い出しやすいとされます。要点を一つの場面や比喩へ結ぶことには、飾り以上の理由があります。

読み手に何を理解してほしいか、その理解を何によって思い出してほしいか。書き始める前にこの二つを分けて考えると、文章の中心が静かに定まります。

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『文章読本』では言葉の働きが、『陰翳礼讃』では光と素材の感覚が論じられます。代表作『細雪』へ進むと、評論で語られた文体と感覚が物語の中でどう息づくかを味わえます。

まとめ

谷崎潤一郎の25の言葉を通して見えてくるのは、言葉への信頼と警戒を同時に持つ姿勢です。言語は考えを形にし、他者へ伝え、記憶に残す力を持つ。しかし万能ではなく、積み重ねすぎれば意味を隠し、経験のすべてを移し替えることもできません。

だからこそ、表現できる範囲を見極め、余分を省き、音や字面まで含めて整える。谷崎の文章論は技巧の一覧ではなく、読み手と現実の両方へ誠実であろうとする態度として読めます。分かりやすさと余韻のどちらかを捨てるのではなく、その二つが出会う場所を探す言葉です。

出典・参考文献

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