生と死、自己を超える価値
21. 産業の復興と知性の復興を分ける
知的な復興、知的な再建は何もなかったんじゃないか。
出典:NHK映像インタビュー(1966年、3分42秒付近)
三島は平和や繁栄を産業化の成果として認めつつ、それを知的な再建と同一視しませんでした。物質的な回復と、社会が自分の過去を考える力は別の課題だという見方です。
数値で見える成長は重要ですが、何をよい社会とするかは数値だけでは決まりません。経済、制度、文化、記憶を別々に点検する視点が、この問いから生まれます。
22. 記憶には光景が残る
八月十五日の日の光というものが、私の中にずっと残っていた。
出典:NHK映像インタビュー(1966年、4分13秒付近)
歴史的な日の記憶は、抽象的な意味だけでなく、光や温度のような感覚として残ることがあります。三島にとって終戦の日は、後年まで消えない視覚的な像でした。
自伝的記憶は、出来事の事実と、そのときの感覚が結びついて形成されます。感覚の鮮明さが歴史的解釈の正しさを保証するわけではありませんが、その人が時代をどう経験したかを伝える重要な手がかりです。
23. 死を説いた人も日常のなかで死ぬ
死ぬか生きるかというときには、死を選べと教えた。
出典:NHK映像インタビュー(1966年、5分41秒付近。『葉隠』の著者について)
三島は『葉隠』の有名な教えに触れつつ、その著者も実際には畳の上で死んだと続けます。理念としての死と、現実の死は一致しないことを承知していました。
極端な言葉は、日常の判断をそのまま命令する規則ではなく、生の姿勢を照らす比喩として読む余地があります。三島の説明にも、教えと現実のずれへの自覚が見えます。
24. 人は自分のためだけには生き切れない
自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど、人間は強くない。
出典:NHK映像インタビュー(1966年、7分02秒付近)
三島は、人間が完全に自己完結した存在ではないと語ります。家族、社会、価値、仕事など、自分を越える何かとの関係が、生きる意味を支えるという考えです。
これは自己犠牲を無条件に勧める言葉ではありません。他者のために自分を失うのではなく、自分だけでは作れない意味を関係のなかに見つける。孤立しやすい時代にも考えさせられる指摘です。
25. 自分だけの生には飽きがくる
自分のためだけに生きるということに、すぐ飽きちゃうんですね。
出典:NHK映像インタビュー(1966年、7分12秒付近)
前の発言を、三島は日常的な言い方で言い直しました。快楽や成功を自分だけに集めても、それが長く意味を保つとは限らないという実感です。
人が価値を感じる対象はそれぞれですが、誰かとの約束や、時間をかけて育てる仕事は、目先の満足とは違う持続性を持ちます。三島の言葉は、その対象を自分で選ぶ必要を静かに示しています。
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討論、評論、小説を行き来して読むと、三島の言葉が一つの標語に収まらないことが見えてきます。
まとめ
三島由紀夫の25の言葉には、対立する相手への敬意、歴史に身を置く覚悟、言葉が話し手を越えて働くことへの自覚、そして人は自分だけでは意味を作りきれないという考えが通っています。強い表現を賛美や拒絶の材料にするだけでは、その複雑さを取り逃がします。
同時代の文学者である川端康成の美と死をめぐる言葉、文体を考え抜いた谷崎潤一郎の文章論、不安と理性を往復した芥川龍之介の言葉、自己と社会の亀裂を描いた太宰治の言葉と読み比べると、近代日本文学の問いがより立体的に見えてきます。
出典・参考文献
- TBS NEWS23「三島由紀夫vs東大全共闘 全記録」(1969年5月13日の討論記録)
- TBS DOCS『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』作品情報
- 三島由紀夫・東大全共闘『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』新潮社、1969年(CiNii Books書誌)
- 「三島由紀夫 NHKインタビュー」1966年(映像・音声記録、引用箇所の時刻を本文に記載)
- 三島由紀夫文学館「著作権について」

