ストア派の「無差別なもの(adiaphora)」とは、人生の幸福を善くも悪くもする決定的な条件ではないものです。健康、財産、評判などが代表例ですが、これは「どうでもよい」「世話をしなくてよい」という意味ではありません。古代ストア派は、徳だけを善、悪徳だけを悪としたうえで、健康などには通常選ぶ理由と価値があると考えました。
この区別を知らずに「健康も財産も無価値」とだけ読むと、ストア派が生活や他者への責任を軽視する思想に見えてしまいます。本記事では、ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』第7巻、キケロ『善と悪の究極について』第3巻、エピクテトス『語録』第2巻5–6章を手がかりに、何が無差別で、何をどう選ぶのかを整理します。
結論|「無差別」は無価値ではなく、幸福の決定条件ではない
ここでの「無差別」は、倫理的な専門語です。ギリシア語の adiaphora(ἀδιάφορα)は「善でも悪でもないもの」を指します。ストア派がいう善は、持っている人を必ず善くし、幸福にするものです。その条件を満たすのは知恵・正義・勇気・節制などの徳であり、反対の悪徳が悪とされます。
健康や財産は、賢い人にも不正な人にも属し、よく使うことも悪く使うこともできます。そのため「善」そのものではありません。しかし、健康であることや生活に必要な資源があることは、通常の状況では自然にかなう選択肢です。そこでストア派は、無差別なものの中にも「選好されるもの」と「選好されないもの」があると区別しました。
広告|以下にはAmazonアソシエイトの広告リンクが含まれます。Amazonのアソシエイトとして、名言集・哲学・ストア派・自己啓発|meigen89は適格販売により収入を得ています。
ストア派倫理を入門書で確かめる
「徳だけが善」と「健康を通常は選ぶ」という二つの主張を学派全体の中で読みたい方は、目次や版を確認しながら入門書を選べます。
ディオゲネス・ラエルティオスが記録した三つの区分
ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』7.101–107は、ストア派の価値論を三段階で記録しています。
- 善:知恵・正義・勇気・節制などの徳と、徳に参与するもの。
- 悪:無知・不正・臆病・放埒などの悪徳。
- 善でも悪でもないもの:生命、健康、快楽、美、強さ、財産、名声、家柄と、それぞれの反対。
7.102–103では、健康や財産はそれ自体で人を善くするわけではなく、善用も悪用もできるため善ではないと説明されます。続く7.104–106では、同じ「無差別」に二つの意味があるとされます。一つは幸福や不幸を決めないという意味、もう一つは髪の本数が奇数か偶数かのように、選ぶ理由そのものがないという意味です。
健康や財産は前者であり、後者ではありません。幸福を決定しない点では無差別でも、日々の選択では違いがあります。この二つを混同しないことが、用語を理解する第一歩です。学派の基本枠組みはストア派とは何かを解説した入門記事、善としての徳はストア派の四元徳で詳しく整理しています。
「選好される無差別なもの」とは何か
通常は選ぶ理由があるもの
健康、身体の機能、生活に必要な財産、よい評判などは、通常は「選好される無差別なもの」とされます。ギリシア語では proēgmena(προηγμένα)です。反対に、病気、痛み、貧困、不名誉などは「選好されないもの」とされます。
キケロ『善と悪の究極について』3.50–59は、この区別がなければ生活上の選択が成り立たず、知恵の仕事もなくなると説明します。3.53では、選好されるものは善ではないものの「一定の価値」を持つとされます。つまり、善と価値は同じ尺度ではありません。
例外では徳に従って手放すこともある
「選好される」は、どんな状況でも健康や財産を最優先するという命令ではありません。通常は健康を守り、病気を治療し、生活基盤を整える理由があります。一方で、不正をして財産を得る、他者を見捨てて自分の安全だけを確保する、といった選択が徳に反するなら、優先順位は変わります。
だからこそ、選好は状況と役割を含む理性的な判断です。家族・友人・市民・仕事上の責任まで考える読み方は、ストア派の役割倫理につながります。
エピクテトス|素材は無差別でも、使い方は無差別ではない
物事そのものは無差別である。しかし、それらの使い方は無差別ではない。
エピクテトス『語録』2.5.1(George Long英訳を参照した当サイト訳)
『語録』2.5–6で、エピクテトスはサイコロ、航海、球技などを例にします。出目や嵐、外から渡される状況は完全には支配できませんが、その材料をどう扱うかには注意と技術が必要です。無差別だから雑に扱うのではなく、結果に心を明け渡さず、使い方には責任を持つという組み合わせです。
2.6では、将来が不確かなあいだは自然の維持に適したものを選ぶというクリュシッポスの言葉も紹介されます。病気になる運命を知っている、という反事実的な例では別の選択が示されますが、私たちは通常そのような確実な知識を持ちません。だから現実には、治療を受ける、休む、相談する、生活を整えることが理にかなう場合が多いのです。
健康・財産・評判をどう扱うのか
大切にすることと、幸福の条件にすることを分ける
現代の日常へ置き換えるなら、ストア派の区別は「大切にするな」ではなく「それだけで人の価値や人生全体を決めるな」と読めます。健康を守る努力は必要です。ただし病気になった人を道徳的に劣っているとみなしてはいけません。収入や評判を改善する努力もできますが、多さや高さだけで人格の善し悪しは決まりません。
- 健康:通常は治療・予防・休養を選ぶ。ただし病気を本人の徳不足と決めつけない。
- 財産:生活や他者への責任に必要な範囲で求める。不正な手段より優先しない。
- 評判:誠実な説明や改善は行う。他人の評価そのものを人格の基準にしない。
- 結果:準備と働きかけは選ぶ。結果を完全に支配できると考えない。
最後の区別は、コントロールの二分法とも関係します。ただし「無差別なもの」は価値の分類、「私たち次第かどうか」は行為主体の支配に関する分類です。重なる部分はあっても、同じ用語ではありません。
よくある誤解
- 誤解1「何を選んでも同じ」:違います。選好されるものには通常選ぶ合理的な理由があります。
- 誤解2「病気や貧困を気にするのは弱さ」:違います。治療や生活支援を求めることは、通常の選択として十分に理由があります。
- 誤解3「結果が悪くても行為は問われない」:違います。結果が善悪を決めなくても、判断と使い方は倫理的に評価されます。
- 誤解4「すべての外的なものは同じ」:幸福への寄与という点では同列でも、自然への適合や選択上の価値には差があります。
Stanford Encyclopedia of Philosophy の「Stoicism」も、主流のストア派が健康や財産を「選好される」ものとし、通常はそれを得るために注意深く行動すると整理しています。これは「無差別」を無関心や放置と同一視しないための重要な手がかりです。
まとめ|価値を認めつつ、善と取り違えない
ストア派の「無差別なもの」は、健康・財産・評判などを粗末にする教えではありません。それらは幸福の決定条件ではなく、人格を善くも悪くもするものではないという限定された意味で、善悪の外に置かれます。
同時に、健康や生活基盤には通常選ぶ価値があります。だから、できる範囲で丁寧に世話をしながら、失ったときに自分や他者の尊厳まで失われたと判断しない。ストア派の難しさと実践的な強さは、この二つを同時に保つところにあります。
出典・参考資料
一次資料:Cicero, De Finibus 3.50–59, H. Rackham英訳(Loeb Classical Library, 1931)
一次資料:Epictetus, Discourses 2.5–6, George Long英訳(Internet Classics Archive)
研究案内:John Sellars, “Stoicism,” Stanford Encyclopedia of Philosophy
注:本記事は上記の英訳と研究案内を確認して執筆しました。ギリシア語・ラテン語本文について複数の校訂版間の異読は独立に校合していません。引用の日本語は当サイト訳です。
